2012年2月10日金曜日

満月のふもとで待ち合わせ

こうして日記を書き綴ることに長くの間が空いてしまいました、お久しぶりです。

以前のはてなダイアリーの日記は、時に存在を忘れ、また時に絞り出すように下書きに書き連ね、表面化されることのない雑文ばかりが蓄積されていきました、そうして刻々と歳月を刻み、現在に至ります。それらすべてを細かく振り返るとキリがないので、心機一転してあたらしい場所で仕切り直します。これからはここで。出来る限り恒常的に日々を書き記していきたいものです。改めまして、私はナツといいます。

空白のあいだには様々なことがありました。まず昨年8月に家の軒下で発見した子猫を保護して共に暮らしはじめたこと。保護当時は生後2週間ほどだった子猫は、健やかに成長し、現在は7ヶ月。あの夏、軒下で泣き叫んでいた黒い子猫の名前はチノという。

私はといえば、昨年11月に肺炎に罹り1週間ほど入院、年末まで自宅療養していました。その節はたくさんの方に大変ご心配をおかけいたしました。現在は根治し凡そ元気に過ごしてます。それにしても、まさか2年後にまた入院するとはその日まで全く考えもしなくて、体調を崩し、入院してから自分の状態に気付くのは我ながら情けなく、皮肉なものですが、休養をしながらようやく自分自身と向き合いました。あの時の私にとっては、良くも悪くも思し召しだったのかもしれない。しかし肺炎は末恐ろしい、と身をもって体感しました。私はマイコプラズマは陰性の至って凶暴な肺炎に見舞われてましたが最近マイコプラズマ型も流行しているようです。皆様もお気をつけて。

予想以上に燻ってしまい、病床の窓から見晴らす銀世界以外は殆ど実感のないまま、冬をはじめてしまった。今季の冬はきっとここ数年の中で最も厳しい。毎年のように徐々に身体が寒さに慣れることをしなかった為に、余計におそるおそる戸惑いながらサディスティックな寒さの真ん中にいます。

約2ヶ月の休養を経て多少のハンデは頂いたものの、またあたらしい1年を迎えた。今年はどんな年になるかを思い描くとき、昨年のことを考え振り返るのは、よくある思考回路ではありますが、それ以上に、2011年という年は大きな1年となりました。動かなければ変わらない、という自覚も含めて、変化を自覚する年だったと思います。そして、変わらなくてはいけない自覚を噛み締めながら、今年2012年は、変革の1年としていきたい。

来る者拒まず去る者追わずかどうかは置いといて、この街に来る人を迎えるより、去る人を見送る方が慣れている気がするのは、地方都市に長く住む人間の宿命なのかな。別れが馴染んでしまうのはさみしいことだ。ただ昨年あたりから、再びこの街に帰ってくる人々、新たに住む人々の流れを感じることが多くあります。近年は過疎化してく一方で、迎えるのは私にはあまり馴染みのないことだったので、この変化には大きな刺激を予感させる。新たな風が吹くとき、人や場所はより視界を広げて成長してくのだろう。
何気なく起こった出来事にも、後々になって不思議な所以を感じるときがある。先日友人と話していた時に印象に残っているのは「いずれ時はくる」という言葉だった。人生においても未来にとってもあらゆる一面で、転機というものがふいに訪れる。それでも、ただ待つばかりでは変わらないから、せめて受け入れる体勢の中で生きていきたい。

軽い風邪をひいた大寒の候、私は深い哀しみのどん底にいた。ただ茫然と、身体が重たく力が入らず、身も心も、喉が渇いた感覚だった。2012年もはじまったばかりでのこの哀しみは堪え難い寂しさとしんどさを齎した。叶うのなら時間を戻してほしい。そうじゃないと思っても失ってからではもう遅い。夜になれば考えこみ、沈み込み、ひたすらにヘッドフォンで、とても大きな音で、追うように音楽を貪り聴き続けた。逃避ではなくこびり付いた静寂と向き合うにはこうするしか術が見当たらなかった。やさしい音楽より鋭く硬い音楽のほうがとても合う気がした、だって永遠に音楽とともにあるのだから。言葉にならなかったことも、友人と少しずつ対話することで、ゆっくり前を向いて気持ちを消化していくのだろう。そのなかで、私の唯一の誇りは仲間だと改めて思う。

心に空いた穴はそのままに、傷は癒えていったけれど、あれから毎日、忘れた日なんてない。胸に刻んでずっと想い続けるだろう。
満月を見上げると都会の風景と共にあるたくさんの笑顔を思い出した。
いつか月の麓で待っててくれる。その時まで、ずっと祈りをささげていたい。
たくさんの約束を果たせなかった。ただ、もう後悔はしたくない。
会いたい人には会いに行かなくては。必ず会おう、会いに行こう。
話したいことならたくさんある。

遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。